7つの習慣読書会「一人でも十分にやっていける」
5月16日(土)は「7つの習慣読書会 vol.2」でした。前回は朝6時開始。今回は、朝5時50分開始。なぜか10分開始時間が早まっていますね(笑)。今回から新しいメンバーも加わってのにぎやかな会となりました。新しくメンバーに加わってくださったMさんは、私がツイッターでお知り合いになった方で、実は私も初めまして。しかし、自己紹介もないままに読書会をスタート。これが、読書会のよいところなのです。それぞれの肩書や仕事内容に左右されず(フィルターを通さず)、純粋に本を読んで、その時に感じたことをシェアする。とても良い時間となりました。
さて、今回の内容は「個人主義と人格主義」
私がラインを引いた箇所は、以下の部分です。
息子を変えようとせず、一歩離れて距離をおき、彼に対する私たちの見方から離れて、彼自身の本質、独自性、一人の人間としての彼本来の価値を感じ取ろうと努力した
守ってもらうことに慣れていた息子は初めのころ親の庇護が突然なくなり禁断症状を起こした。~中略~「おまえを守ってやる必要はない。一人でも十分にやっていける」という息子への無言のメッセージだった
ラインを引いた後半部分の「一人でも十分にやっていける」という言葉は、今の私の生活を表しているように感じていました。
私の主人は2017年に脳梗塞で倒れ、その後遺症が残っています。失語症と右側の運動機能のマヒが少しあります。私たちは彼の療養のために大分県に引っ越しをしてきました。入院中に彼を支えていくことと、退院してからの彼を支えていくことの違いは驚くほど大きなものでしたし、最初の一年は、彼の生活を支えながらの毎日が本当に大変だったことを覚えています。彼の生活が安全であるか、歩いていてこけてしまわないか、食事は大丈夫か、などあれこれ考えて気が休まらない毎日でした。それはどこかで「私が守っていかなければ」と必死になっていたからだと思います。
しかし、ある時に、「彼を守るという本当の意味は、すべてのことを先回りして私が何でもやってあげることではなくて、私がいなくなってからも彼が一人で生きていく力をつけるためのサポートをすることだ」と気づきました。もし、私に何かあった時でも彼が困らないように彼自身がこの社会で生きていく力を付けることが必要だと。
そう考えた時から、私は彼の生活を「先回り」して支えることを辞めました。一人で出来ることは一人でやらせ、失敗しても、すぐに手を出さないようにしました。それは、お互いに大変な時間ではありましたが、そうすることで彼は今、一人で何でもできるし、失語症があるけれど誰とでも積極的に話しができるようになっていると思います。
今の彼には彼だけの世界があります。大分に来てできた友人がいます、同じように障がいを持っている人と一緒に励まし合いながら働いています。そうやって「一人でも十分にやっていける」ことを実践しています。
大切なことは、彼が道につまずかないように先回りをすることではなく、彼が道につまずいてしまっても自分で立ち上がる力を付けること
これからも、彼と一緒に歩んでいきながら、彼を支えていきたいと思っています。